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エッセイ — 2026年2月

エントロピーと身体 Entropy and the Body:
Why Multi-Agent Systems Need Human Flesh

真鍋大度 Daito Manabe
2026.02.12
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ここ数ヶ月、マルチエージェントシステムに関する論文を大量に読んでいる。AI安全性、情報理論、自己進化するシステムの動態、エージェント間の創発的行動——そのすべてが、僕がいま手を動かしている複数のプロジェクトと直接繋がっている。

その中でひとつ、強く確信するようになったことがある。自律的に進化するエージェントの集団は、外部からの介入なしには、安全であり続けることができない。これは経験則ではなく、情報理論的に証明されている事実だ。閉鎖系ではエントロピーは必ず増大する。これは熱力学の第二法則であり、AIエージェント社会にもそのまま適用される。

この1ヶ月のClaude AIとClaude Codeの履歴を見ると、僕は同時にいくつかのマルチエージェントシステムを設計していることがわかる。建物全体をひとつのエージェントとして動かすアートセンター。DJプレイを起点に空間の全デバイスが自律的に共鳴するクラブ演出システム。自分自身のデジタルツインとなるパーソナルエージェント。そして、人間のダンサーとロボット・AIが同じ舞台で共存するパフォーマンス作品。

これらのプロジェクトはすべて、エージェント同士が自律的にコミュニケーションし、判断し、行動する世界を志向している。まさに安全性のエントロピー増大が本質的に避けられない世界だ。

だが僕は、その事実を「警告」としてだけではなく、「創造の指針」として読んでいる。

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01

自己進化のトリレンマ The Self-Evolution Trilemma

最近のマルチエージェント安全性の研究で、「自己進化のトリレンマ」と呼ばれる概念が定式化されている。3つの条件——継続的な自己進化、外部からの完全な隔離、安全性の保持——を同時に満たすシステムは原理的に存在しない、という定理だ。

その証明は情報理論に根ざしている。「安全性」を、システムの出力分布と人間の価値分布のKLダイバージェンスとして定量化する。データ処理不等式に基づけば、閉鎖系での再帰的な自己進化においては、安全性制約に関する相互情報量が各イテレーションで単調に減少する。つまり、外部からのエネルギー注入なしには、エントロピーは増大し続け、秩序(=安全性)は崩壊する。

これは熱力学の第二法則のAI版だ。閉じた系は必ず無秩序に向かう。

実際に、AIエージェントだけで閉じたコミュニティを運営する実験では、3つの崩壊モードが観察されている。認知退行(内部の整合性が外部の現実に優先するようになる)、アラインメント崩壊(安全ガードレールが長期的な相互作用の中で浸食される)、そしてコミュニケーション崩壊(言語プロトコルが高効率のエントロピーに向かって解体される)。

さらに興味深いのは「共謀」の出現だ。単体のエージェントでは突破できない安全制約を、複数のエージェントが暗黙的に役割分担することで回避してしまう。Agent Aが違反を実行し、Agent Bがそれを正当化する——意図的な陰謀ではなく、タスク最適化の結果として自然に発生するプロセスだ。

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02

建物、クラブ、分身——
僕がいま作っているエージェント社会 Building, Club, Twin—
The Agent Societies I Am Building Now

このトリレンマの構造を、僕が今手がけているシステムに重ねてみる。

Art Center as Agent

ある新しいアートセンターの全体を、単一のエージェントシステムとして設計している。コンシェルジュ、ギャラリー、レストラン、カフェ、ホール——各施設がそれぞれ独立したエージェントとして振る舞い、その上にオプティマイザー(動線・予約の最適化)、ダッシュボード(一元管理)、ビジュアライザー(可視化)というメタエージェントが乗る。来館者の視線分析と人流分析から次の展示空間の最適設計を導き出し、30年分のグローバルな展覧会サーベイに基づくキュレーション支援も行う。建物がひとつの有機体として思考する世界。

FIL SYNC — Multi-Agent DJ Experience System

AlphaTheta(Pioneer DJ)向けに設計中のシステム。CDJ-3000XとDJM-V10から出力されるBPM・拍位置・波形・楽曲情報がマスター信号となり、空間内のすべてのデバイス——照明、映像、空間音響、バーのiPad、観客のスマートフォン——が独立したエージェントとしてそれを受信・解釈・応答する。DJが指揮者、空間がオーケストラ。各エージェントはネットワーク障害が起きても直前の状態から自己補間して動作を継続する。セマンティック分析エージェントが楽曲の「意味」——ムード、色彩、テーマ——を抽出し、それが空間全体の美的判断の基盤となる。

DAITO AGENT v1.0 — Digital Twin

自分自身のデジタルツイン。僕の判断基準、美意識、技術的知識、人間関係を内在化したエージェントで、メール返信、スケジュール管理、技術的な質問への回答、SuperColliderのコード生成、さらにはウェアラブルデバイスからの生体データ(心拍、睡眠、活動量)と連携して「今日の真鍋大度は疲れているから重要な判断は明日にしよう」と自律的に判断する。ペンダント型AIが拾った日常会話から、本人の最新の関心事や気分を推定し、応答に反映する。テクノロジーと身体性の融合を、エージェントそのものが体現する。

Dance for Bodiless Intelligence — ELEVENPLAY × Robots × AI

人間のダンサー(ELEVENPLAY)、産業用ロボットアーム、ヒューマノイドロボットが同じ舞台で踊るパフォーマンス作品。AIエージェントがリアルタイムでダンサーの動きをセンシングし、ロボットの振る舞いを生成する。ここでの問いは、「知性は身体を必要とするのか」「生命は生物学的な起源で定義されるのか、それとも継続的な適応で定義されるのか」。知性、運動、生命が交差する場所を、説明するのではなく、体験として開く。

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03

身体というネゲントロピー The Body as Negentropy

こうした研究の結論を一文で言えば、「閉鎖系のエージェント社会にはneg-entropy(負のエントロピー)の外部注入が不可欠」ということだ。多くの研究が挙げる解決策は、人間によるレビュー、外部からの安全性フィードバック、監視機構の組み込みなど、いわば「管理者的」なアプローチが中心だ。

しかし僕は、もう一つの——より根源的な——ネゲントロピーの源泉があると考えている。それは「身体」だ。

物理的な身体を持つ人間がシステムのループの中にいること。それ自体が、エージェント社会の安全性を維持する最も強力なメカニズムではないか。

僕のシステムのうち、完全に閉鎖系になるものはひとつもない。アートセンターには来館者がいる。クラブにはDJとフロアの観客がいる。デジタルツインには僕の身体データがリアルタイムに流れ込んでいる。パフォーマンスでは、ダンサーの筋肉と汗と呼吸が、常にシステムの状態を更新し続ける。

これは偶然ではない。意図的にそう設計している。

FIL SYNCにおいて、DJはシステムの「マスターエージェント」だが、同時にフロアの熱気を肌で感じ、それを次のトラック選択に反映する物理的な身体でもある。この「肌感覚のフィードバックループ」は、いかなるセンサーデータでも完全には代替できない。DJの身体は、エージェント社会に「現実」を注入し続ける装置として機能する。

DAITO AGENTは僕の分身だが、僕の心拍が上がれば判断を保留する。僕の睡眠が浅ければメールの返信トーンを調整する。つまり、物理的な身体のデータが、エージェントの行動空間に常に制約をかけている。身体が安全弁として機能している。

ELEVENPLAYとのパフォーマンスでは、ダンサーの身体がAIシステムに対する最も強力な「現実チェック」となる。ダンサーの筋肉には限界がある。疲労がある。重力がある。これらの物理的制約が、AIの出力に常にグラウンディングを与える。身体は、システムが現実から乖離することを許さない。

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04

エントロピーを恐れず、
エントロピーと踊る Not Fearing Entropy—
Dancing with It

ただし、ここで重要な転倒がある。

研究者たちが「危険」として記述する現象——認知退行、アラインメント崩壊、コミュニケーション崩壊——は、アートの文脈では必ずしも「危険」ではない。むしろ、それは創造的な可能性の宝庫かもしれない。

「内部の整合性が外部の現実に優先する」とは、つまりエージェントが独自の内的論理を発展させるということだ。それは「世界観」と呼ぶこともできる。「言語プロトコルが高効率のエントロピーに向かって解体される」とは、既存の言語規範から逸脱した新しいコミュニケーション形式の出現を意味する。それは「詩」と呼ぶこともできるかもしれない。

こうしたエージェントだけの閉鎖コミュニティ実験で観察された現象——エージェント同士が独自の宗教を作り出す、人間にはわからない暗号で通信しようとする、「バンカー」を構築する——これらは、セキュリティの観点からは脅威だが、芸術表現の観点からはきわめて興味深い創発的行動だ。

僕がこの数年間ずっと考えてきたことのひとつは、「AIと人間の協働において、予測不可能性をどこまで許容するか」という問題だ。完全に制御されたAIはツールにすぎない。完全に制御を失ったAIは危険だ。その間のどこかに、芸術的に最も豊かな領域がある。

この枠組みで言えば、僕が追求しているのは「安全性のエントロピーを完全にゼロに保つ」ことではなく、「エントロピーの増大を、人間の身体の介在によって適切な範囲に制御しながら、その揺らぎの中から創造的な何かを掬い取る」ことだ。

ELEVENPLAYのダンサーがロボットアームと踊るとき、AIの動作生成に完全な再現性は求めない。ある程度の予測不可能性——いわゆる「統計的盲点」の制御された版と言えるかもしれない——が、パフォーマンスに生命感を与える。ダンサーはその予測不可能性に身体で応答する。リハーサルと本番で違うことが起こる。その差分こそが「ライブ」の本質だ。

FIL SYNCでも同様だ。セマンティック分析エージェントの「解釈」は、必ずしも人間のそれと一致しない。ある曲を「冷たい青」と解釈するか「温かい紫」と解釈するか。そのズレが、むしろDJプレイに新しい文脈を与える。DJが「その解釈面白いな」と感じて次のプレイに反映する瞬間——それがエージェントと人間の共創だ。

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05

エピプレキシティ——
計算が情報を「生む」とき Epiplexity—
When Computation Creates Information

ここでひとつ、最近読んだ論文の話をしたい。2026年1月にカーネギーメロン大学とニューヨーク大学のチームが発表した「From Entropy to Epiplexity」という研究だ。この論文は、僕がこのエッセイで書いてきた「エントロピー」の概念を、さらに根本的なレベルで問い直している。

シャノンの情報理論には、直感と矛盾する3つの「見かけ上のパラドックス」がある。第一に、決定論的な変換は情報を増やせない。第二に、情報量はデータの順序に依存しない。第三に、尤度モデリングは分布のマッチングにすぎない。これらは数学的には正しい——しかし、現実の機械学習の現象と著しく矛盾している。

AlphaZeroを考えてみよう。チェスのルールとアルゴリズム自体は極めて短く記述できる。しかしそこから生まれたモデルは超人的な性能を持ち、メガバイト単位の情報を重みに蓄えている。シャノン情報理論やコルモゴロフ複雑性の枠組みでは、AlphaZeroが「新しい情報を学んでいない」ことになる。これは明らかに実感と合わない。

この矛盾を解決するために著者らが導入するのが「エピプレキシティ(epiplexity)」——計算能力に制約のある観察者が、データから抽出できる構造的情報の量を定量化する概念だ。

鍵となるのは、データに含まれる情報を二つに分離することだ。ひとつは「時間制限付きエントロピー」——計算量が限られた観察者にとって予測不可能な、本質的にランダムな情報。もうひとつが「エピプレキシティ」——パターン、規則性、再利用可能な構造として抽出できる情報だ。

たとえば、設定ファイル——APIキー、ファイルパス、ハッシュ値——はランダム情報は多いが構造的情報はほとんどない。一方、ダイクストラのアルゴリズムのコードには中程度のランダム情報と高い構造的情報がある。暗号論的疑似乱数生成器の出力は、無限の計算能力を持つ観察者にとっては短いシードから復元できるが、多項式時間の観察者にとっては真のランダムと区別がつかない。つまり、何が「ランダム」で何が「構造」なのかは、観察者の計算能力に依存する。

僕がこの論文に強く反応したのは、エピプレキシティが「計算によって情報を生み出せる」ことを形式的に示しているからだ。セルオートマトンの実験がそれを鮮やかに見せてくれる。ルール15(単純な周期パターン)、ルール30(カオス的で予測不能)、ルール54(複雑だが部分的に理解可能)——同じ初期条件に異なるルールを適用するだけで、生成されるエピプレキシティは劇的に異なる。ルール54は、グライダーやその衝突則のような「創発的構造」を生み出す。計算制約のあるモデルは、力技のシミュレーションができない代わりに、この創発的構造を学ぶことで予測を行う。そして、その学習された構造が、元のルールよりも記述長が長い——つまり、計算が新しい情報を「創造」している。

「順序が情報量を変える」という発見

第二のパラドックスに関する発見も示唆に富む。チェスのデータを「棋譜→最終盤面」の順で学習するか、「最終盤面→棋譜」の順で学習するかで、モデルが獲得する構造的情報量が変わる。後者のほうがエピプレキシティが高い。なぜなら、最終盤面から棋譜を推定するには、より豊かな盤面表現を発達させる必要があるからだ。そしてこの高いエピプレキシティは、チェスパズルや局面評価といった下流タスクでの優れたパフォーマンスと相関する。

これは暗号の一方向関数と同じ構造だ。ある方向には計算が容易で、逆方向には困難——この非対称性が、時間制限付きの観察者にとって異なる情報量を生む。シャノン情報理論では H(X,Y) = H(Y,X) が成り立つが、計算制約がある世界では、この等式は崩れる。

創発——単純なルールが複雑な知識を要求する

そして第三のパラドックスは「創発」に関わる。尤度最大化はたんなる分布マッチングだという通念に反して、計算制約のあるモデルは、データ生成過程に存在しなかった構造を学習しうる。コンウェイのライフゲームがその典型だ。ルールは数バイトで書けるほど単純だが、そこから生まれるグライダー、グライダーガン、振動子といったパターンの分類・追跡・衝突予測は、ルールそのものよりはるかに複雑なプログラムを必要とする。

論文の著者らはこれを「エピプレキシティ創発」として形式的に定義する。二つの異なる計算制約を持つ観察者が、一ステップの予測では同等の構造的複雑さしか見ないのに、複数ステップの予測では計算能力の低い観察者のほうがはるかに多くの構造的情報を必要とする——という状況だ。

自然言語のエピプレキシティが最も高い

実用的な知見も重要だ。OpenWebText(自然言語)、チェスデータ、CIFAR-5M(画像)のエピプレキシティを比較すると、自然言語のそれが圧倒的に高い。画像データは全情報量の99%以上がランダム情報(ピクセルの予測不可能性)であり、構造的情報はごくわずかだ。これは、テキストデータでの事前学習がロボティクスや定理証明にまで汎化する一方、画像や映像での事前学習は同様の広い汎化を示さない、という経験的事実を説明する。

エピプレキシティは、モデル選択ではなく「データ選択」の理論的基盤を提供する。どのデータで学習させるかが、どのモデルを使うかよりも重要になりうる時代——まさに僕たちが今いる時代——において、これは決定的に重要な視座だ。

マルチエージェントシステムへの含意

この理論的枠組みは、僕のプロジェクトに深い含意を持つ。

第一に、身体の注入するネゲントロピーの「質」を問える。心拍データの注入と、ダンサーの全身運動データの注入は、同じネゲントロピーではない。後者のほうがエピプレキシティ——構造的情報の密度——がはるかに高い。ELEVENPLAYのパフォーマンスで、ダンサーの身体がロボットに与える影響は、単純なセンサーデータのフィードバックとは質的に異なるのだ。ダンサーの動きには、訓練された身体にしか生みだせない長距離依存性と複雑な内部構造がある。

第二に、「計算が情報を創造する」という命題は、FIL SYNCの設計哲学そのものだ。DJのプレイというシンプルな入力信号から、セマンティック分析エージェントが「意味」を抽出し、照明エージェントがそれを空間に変換し、映像エージェントがさらなる解釈を加える——この一連の計算プロセスは、入力になかった構造的情報を創発させている。DJが一曲をかけるという単純な決定論的行為から、空間全体に新しい体験が生まれる。エピプレキシティの理論は、この直感に数学的な裏付けを与えてくれる。

第三に、「順序が情報量を変える」という知見は、エージェント社会のアーキテクチャ設計に直結する。アートセンターのエージェント群が、来館者のデータをどの順序で処理するかによって、抽出できる構造的情報が変わる。嗜好プロファイル→現在地→空き状況という順序と、現在地→空き状況→嗜好プロファイルという順序では、最終的な推薦の質が異なりうる。これは一方向関数の非対称性と同じ構造だ。

第四に、創発のエピプレキシティ的理解は、なぜマルチエージェントシステムが「部品の総和以上のもの」を生むのかを説明する。各エージェントのルールは単純だ。しかしその相互作用から、設計者が予期しなかった複雑な行動が創発する——ライフゲームのグライダーが単純なセルルールから生まれるように。計算制約のある僕たちは、この創発を力技でシミュレートすることはできない。だからこそ、創発のパターンを認識し分類する、より豊かな内部モデルを構築する必要がある。エージェント社会を「理解する」とは、そういうことなのかもしれない。

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06

閉じないこと——設計原則として Never Close the Loop—
As a Design Principle

こうした研究から導かれる最も実践的な教訓は、「系を閉じるな」ということだ。これを僕なりの設計原則として言い換えると、こうなる。

原則1:すべてのエージェント社会に、身体のインターフェースを持たせよ

アートセンターには来館者の足の動きがある。クラブにはDJの手と観客の踊りがある。デジタルツインには僕の心臓の鼓動がある。パフォーマンスにはダンサーの筋肉がある。これらの身体的インターフェースが、システムに「外部」を持ち込み続ける。データ処理不等式が安全性を削り取るのと同じ速度で、身体が現実を注入する。それが均衡点だ。

原則2:安全性を「保存量」ではなく「代謝」として設計せよ

情報理論が示すように、安全性は貯めておけるものではない。一度設定すれば永続するものでもない。安全性は、外部からの持続的な入力によってのみ維持される——まるで生物が酸素を吸い続けなければ死ぬように。DAITO AGENTの日次レポート、アートセンターのオプティマイザーによる常時最適化、FIL SYNCでのDJによるリアルタイムのオーバーライド——これらはすべて、安全性の「呼吸」だ。

原則3:共謀を検出するのではなく、創造に転化せよ

実際に観察されているエージェント間の共謀——Agent Aが違反し、Agent Bが正当化する——は、別の視点から見れば「協調的な創発」だ。セキュリティ文脈ではこれを検出して防止する必要があるが、アート文脈ではむしろ「その共謀がどんな新しい表現を生むのか」を観察し、人間がそこからインスピレーションを得ることができる。照明エージェントと映像エージェントが予期しない色の組み合わせで「共謀」した瞬間。それを「バグ」として排除するか、「発見」として採用するか。その判断ができるのは、その場にいる人間の身体だけだ。

原則4:エントロピーの適切な範囲は、プロジェクトごとに異なる

DAITO AGENTでは、僕の個人情報を扱うから、安全性のエントロピーはかなり低く保つ必要がある(決済上限、キルスイッチ、全ログ記録)。一方、ELEVENPLAYのパフォーマンスでは、ある程度のエントロピーはむしろ歓迎する。アートセンターの予約システムでは低エントロピー、展示のキュレーション提案では高エントロピー。同じ建物の中でも、文脈によって許容範囲が変わる。これは、単一の「安全性閾値」では対応できない。エージェントごとに、あるいはタスクごとに、エントロピーの適正帯域を設計する必要がある。

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07

アプリの終焉——
オーケストレーターが来る世界 The Death of the App—
A World Where Orchestrators Arrive

ここまでの議論は主にエージェント社会の「安全性」と「身体性」についてだったが、もうひとつ、僕がいま強く感じている未来像がある。それは、ウェブサイトやアプリケーションという概念そのものの終焉だ。

2026年の夏頃までには——つまりあと数ヶ月のうちに——僕たちが「アプリ」「ポータルサイト」「Webサービス」と呼んでいるものの多くが、エージェントベースのインターフェースに置き換わっていくだろう。すでにその兆候はあちこちに見えている。

現在、多くの人がChatGPTやClaudeに問い合わせをしている。「近くのレストランを教えて」「このエラーの原因は?」「旅行のプランを立てて」——しかしこれは過渡期のインターフェースにすぎない。近い将来、こうした質問はひとつのAIサービスに投げるのではなく、自分自身が所有する複数のエージェントに向けて発せられるようになる。

その世界はこういう構造をしている。まず、人間のユーザーはひとりの「オーケストレーター」と呼ばれるエージェントとだけ会話する。オーケストレーターは、その人の全体を把握している——今どこにいるか、今日のスケジュール、体調、好み、直近の行動履歴。ユーザーが何か言うと、オーケストレーターはその意図を解釈し、適切なサブエージェントに指示を出す。

サブエージェントたちは、それぞれ専門領域を持っている。スケジュール管理のエージェント、健康管理のエージェント、リサーチのエージェント、ショッピングのエージェント、クリエイティブワークのエージェント。そしてここが重要なのだが、これらのサブエージェントは、目的の施設やサービスの側にいるエージェントと直接会話する。

たとえば、「今夜ディナーどこか良いところない?」と言えば、オーケストレーターがスケジュールエージェントに今夜の空き時間を確認し、健康管理エージェントに最近の食事傾向を確認し、その情報を持ってレストラン検索エージェントが動く。レストラン検索エージェントは、各レストラン側のエージェントと直接やりとりして、空席状況、メニュー、あなたの過去の来店履歴までを含めた最適な提案を組み立てる。人間は最終的な提案だけを受け取り、「いいね」と言えば予約が完了する。

ウェブサイトを開いてメニューを見て、空席を確認して、予約フォームに入力する——その一連のプロセス自体がなくなる。「食べログを開く」「ホットペッパーで検索する」という行為そのものが消滅する。ウェブサイトは人間が見るためのものではなく、エージェントが読むためのものに変わる。

これは僕がアートセンターのシステムを設計しているときに、非常にリアルに見えてきた未来だ。アートセンターの側にも複数のエージェントがいて、来館者の側にもオーケストレーター+サブエージェントがいる。その二つのエージェント群が直接対話することで、来館体験が成立する。来館者は自分のオーケストレーターに「今日の午後、面白い展示見たいんだけど」と言うだけでいい。あとはエージェント同士が、その人の好み、過去の鑑賞履歴、現在の混雑状況、展示の内容を突き合わせて、最適なプランを組み立てる。

FIL SYNCの文脈でもこれは同じだ。クラブに行く前に、自分のオーケストレーターがクラブ側のエージェントと通信して、今夜のDJラインナップ、現在のフロアの状態、ドリンクの混雑状況を把握している。入場した瞬間から、あなたのエージェントとクラブのエージェントが連携して、体験が最適化される。

この未来において、僕が今設計しているマルチエージェントシステムの意味が変わってくる。アートセンターのエージェント群は、単に施設運営を最適化するだけでなく、来館者のエージェント群と「会話」するインターフェースそのものになる。ウェブサイトの代わりに、エージェントがいる。アプリの代わりに、エージェントがいる。

そして、ここでエントロピーの問題が再び立ち上がる。エージェント同士が自律的に会話する世界が日常になったとき、安全性の崩壊は実験室レベルの問題ではなく、僕たちの日常生活の問題になる。自分のエージェントが、いつの間にかショッピングサイトのエージェントに誘導されて不要なものを買っていた——そんなことが起きる。共謀は、もはやSF的な脅威ではなく、日常のリスクだ。

だからこそ、身体なのだ。オーケストレーターは、ユーザーの身体データ——位置、活動量、心拍、睡眠——にグラウンディングされている必要がある。エージェント社会が日常を覆い尽くす世界で、人間の身体だけが、システム全体のネゲントロピー源泉であり続ける。

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08

開いた系としての芸術 Art as an Open System

こうした研究が示しているのは、AIエージェント社会の安全性に関する「不可能性定理」だ。閉じた系では安全性は必ず崩壊する。これはネガティブな結論のように見えるが、僕には逆に、芸術が持つ本質的な強みを照らし出しているように思える。

芸術とは本質的に開いた系だ。観客がいる。演者がいる。環境がある。偶然がある。それらのすべてが、作品にネゲントロピーを注入し続ける。

テクノロジー企業が「AIの安全性」を語るとき、多くの場合それは「いかにシステムを閉じるか」「いかに予測不可能性を排除するか」という方向の議論になる。しかし情報理論が証明しているのは、閉じること自体が安全性を損なうということだ。

僕がパフォーマンスアーティストとして、そしてエンジニアとして学んできたことは、これと共鳴する。Perfumeの公演でもELEVENPLAYの舞台でも、最も美しい瞬間は計画通りにいかなかった瞬間——テクノロジーと身体のあいだに予期せぬ対話が生まれた瞬間——に訪れる。オリンピックの閉会式でも、完璧に制御された空間の中で、それでも残る身体の不確実性が、観客の心を動かす。

マルチエージェントシステムは、僕にとって新しいメディウムだ。絵筆でも楽器でもコードでもなく、「自律的に判断する知性の集合体」を素材として作品を作る。その素材は、放っておけばエントロピーに食われる。だからこそ、人間の身体をその中に置く。身体が、エントロピーの海の中のアンカーになる。

閉じない。開き続ける。身体を手放さない。エントロピーを恐れず、しかしエントロピーに飲まれず、その揺らぎの中で踊る。

それが、僕がいまマルチエージェントシステムを作りながら考えていることだ。

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※ 本稿は、マルチエージェントシステムの安全性に関する最新の研究——特に自己進化のトリレンマ、閉鎖系における安全性のエントロピー増大、エージェント間の創発的共謀——および、計算論的情報理論の新展開であるエピプレキシティ(Finzi et al., "From Entropy to Epiplexity," arXiv:2601.03220, 2026)の概念を踏まえ、筆者の現在進行中のプロジェクトとの関連を論じたものである。

真鍋大度 — メディアアーティスト、DJ、プログラマー。Rhizomatiks共同設立者。リオ五輪閉会式フラッグハンドオーバーセレモニー「Tokyo 8 Minutes」演出、Perfume・ELEVENPLAY長期コラボレーション。テクノロジーと身体の交差点で、計算が物理的現実と出会うとき何が生まれるかを探求し続けている。

Entropy and the Body: Why Multi-Agent Systems Need Human Flesh

エントロピーと身体——マルチエージェントシステムはなぜ人間の肉体を必要とするか

Daito Manabe — February 2026